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やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ

「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」とは、山本五十六の言葉である。

私も会社を経営して、部下を持っているからいつもこの言葉を痛感している。

自身の仕事で手がいっぱいでも、部下の指導にはそれなりの時間と根気を要する。

もともとは江戸時代中期の大名で出羽国米沢藩の第9代藩主の上杉鷹山の言葉「してみせて 言って聞かせて させてみる」とされている。

上杉鷹山の言葉は「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」の方が有名である。

上杉鷹山は、ケネディ大統領がもっとも尊敬する人にあげた人物だ。

クリントン大統領も最も尊敬できる日本人としてあげている。

父のはなし

昭和9年生まれの父は、鹿児島県指宿郡に生まれ育ちました。

9人兄弟の7番目であったため、中学を卒業後、食い口減らしで大阪へと丁稚奉公に出されたのでした。

難波の道具屋筋にある布団屋に住込みで働き、母と出会い結婚をしました。

後に大学出の新人が入ってきた際、父よりも優遇されたことに憤慨し、店を飛び出しました。

昭和39年に、その後務めた会社の上司から借金をし、大阪市内に布団店を出すことになりました。

借金を返すために、昼夜なく働きづくめに働きました。

昭和40年には弟が生まれ、そんな一生懸命働く父の背中を見て私たち兄弟は育ったのでした。

父は自分に学歴がないことを思い、息子たちには財産は残してあげられないけれど、大学にだけは行かせたいと願っておりました。

幼いころの弟は、大学といえば東大くらいしか知らなかったのですが、「僕は大きくなったら東大に行って布団屋をするんや。」と言っておりました。

父からすると頼もしい限りだったことでしょう。

幼子の夢は、その後、大学といえば東大しかないと、一心に勉強に打ち込むようになりました。

昭和58年、弟は私立大学には目も向けず、東大の理気飽貳合格を果たしました。

両親も私もすごく喜んだものでした。

18歳にしてはじめての下宿生活を始めた弟は、都会の寂しさもあって、何か理由をつけては毎晩電話をかけてきたものでした。

当時は携帯電話など無く、近くの公衆電話から自宅にかけたものです。

晩酌の好きな父は、お酒を飲んだらろれつが回らず、まともな会話もできなくなることも度々でした。

父が電話に出た際に、弟は「お母さんにかわって」と無碍もないのでした。

さぞかし父は寂しかったでしょう。

大学を卒業し、父の意向に背いて民間企業に勤めた弟は、そのまま東京に暮らすこととなりました。

その後、弟は34歳にして結婚をし、2人の子供をもうけました。

最近では年に1、2度実家に帰って来るのみとなりました。

昨年、43年間続けた布団店も、借家の立ち退きにあい、閉店せざるを得なくなってしまいました。

私たち兄弟を大学まで出した父にとっては、布団店には、もう未練はなかったのかも知れません。

この春、私の18歳の娘は、東大の文靴飽貳合格を果たしました。

父も私も20年前の感動を思い起こしたものです。

今の私は、娘が都会の人ごみに混じって、ひとり寂しい思いをしないかと心配な気持ちです。きっとあの時の父もそうだったに違いありません。

父は73歳。子供はいつまでたっても子供のままです。

誰が言うか

作家の童門冬二氏は、著書で、日本では多くの場合何を言うかではなく、誰が言うかで聞き手の反応が違うというようなことを指摘している。本来は同じ内容を別人が言ったとしても、その人の人格や年齢などに関係なく、内容で評価すべきでなのであろう。

論語の中に「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」というのがあったと記憶している。賢い人ほど、誰からも学び、さらに知識をつけていくのであるが、そうでない人ほど、誰からも学ぼうとはしないのである。

元大阪府立松原高等学校 教諭の佐谷力さんの講演会を聞いたことがある。ある高校生の少女が中途退学をしたがっていたそうである。親や教師が何度なだめても聞かない。佐谷さんは、学校を休んで良いから好きなことをしてくるようにと勧めたそうである。1ヵ月後、少女は自ら学校へ帰ってきた。教師が事情を聞くと、バイト先の一緒に働いているおばさんに「高校くらい出てないとダメだよ。」といわれたのだそうだ。親や教師が何度同じことを話しても無理だったのにである。

結果からはじめよう

成功している経営者の多くは楽天家ではないだろうか。

歴史小説で著名な童門冬二氏が著書の中で「結果からはじめよう」と書いている。有能な戦国時代の武将は「結果からはじめる」のだそうだ。すんだことをくよくよ悩んでも始まらない。まずは今置かれた状況を良く見て、次に何をするべきかを考えた方が健全である。

手前味噌ではあるが、私はいつも今が一番いいと思っている。過去を振り返ることはあまり好きではない。また後悔したこともほとんどない。就職先を決めたときも、転職を決めたときも、起業したときもである。今日よりも明日、明日よりもあさってが楽しみである。

よく済んだことをくよくよ悩む人がいる。またはすぐに反省する人がいる。しかしである。すぐに反省する人は成長しない。まずは自分を褒めてあげよう。「これだけの時間でよくやった」とか「今の自分の能力では最大限がんばった」とかである。本当の反省は、そのときの自分自身を第三者的に見れるようになる数日後で良いではないか。

もっと楽天的に、結果からはじめれば良いではないか。

大衆の意見は正しい

『「みんなの意見」は案外正しい』という本が売れているそうだ。
インターネットの発達によって、時間と距離に関係なく、大衆の意見が集められるようになった。Wikipediaなどはその良い例かも知れない。

私が最初に勤めた会社で、「ヒューマンデベロップメント」という社員研修があった。2泊くらいの研修だったと記憶している。その中で記憶に残っているのは、「コンセンサスを得る」という”学習”だった。教材が非常に面白いのは、戦争かなんかで人類が破滅しそうになった際に、10人だけが非難でき、生き延びることができるカプセルがある。ところがそのカプセルの前には11人がいるのである。女学生、妊婦、宮大工、神父、漁師、・・・。そこで誰がカプセルに入らないかをチームで議論するのである。もちろん正解なんかはない。1時間くらいの議論の中で色んな意見が出てくる。「年頃の男と女が生き残らないと人類が絶える」「神父が入らないと心がすさみ殺し合いがおきる」「妊婦が入るといずれ11人になってしまい、そのうちに誰かが出ないといけなくなる」「生き残るのに性別や職業や年齢は関係ないはず」などなどである。ここで学んだのは、人の意見を聞くということである。自分ひとりでは思いつかなかった発想が出てくるのである。人の意見を聞くと考え直させられるのである。各チームはそれぞれの意見をまとめ発表したが、自分たちが一生懸命考えた後に聞くと、物事が立体的に見え、かつ批判する能力が芽生えてくることに気がつかされた。コンセンサスというのは、人を納得させることではない。十分に議論を尽くして、無知な反対をしないことと理解する。

考えてみると、我々コンサルタントも、ある会社で学んだことを他の会社で話してみる。その会社でも別のことを学ぶので、次の会社ではもっと多くのことを話せるようになる。気がついてみると最初に学んだことは、一部の間違いや勘違いに気付き是正されてくる。いつしかその分野での物知りになってしまうのである。

Broken window理論

「ブロークンウィンドウ理論」は、ラトガース大学のケリング教授による理論である。

治安の良い住宅街で車のボンネットを開けたままに1週間放置したが、何事も起こらなかった。しかし、フロントガラスの割れた車を同様に放置したところ、次々にガラスを割られ、金になる部品はほとんど盗まれてしまったというもの。

これは、小さな犯罪を放置すると、やがてそれが大きな犯罪につながるという犯罪心理学の理論である。

この理論をニューヨークの地下鉄でジュリアーニ市長が応用した。地下鉄の落書きを徹底的に消したところ、重犯罪の件数が激減したのである。

小さなミスや怠慢は、それが許されると罪の意識がなくなってミスを犯すことに抵抗がなくなってしまう(習慣化)。
たとえ罪の意識があっても、ここまで許されるならもう少しと自分で勝手にこじつけてしまう心理が働く(合理化)。

上司は部下に対して、失敗を叱ってはならない。それよりも小さなこと、些細なことを適宜注意することである。例えば「ごみを投げてゴミ箱に入れようとしたが、床に落ちてしまったのを放置した」とか「ホッチキス止めをした書類ががたがたに綴じられていた」などである。

「机の上を整理する」「掃除をする」などは当たり前のことではあるが、案外誰も注意しないものである。これくらいのことと思う気持ちがいつしか大きな失敗・損失につながりかねないのである。

実は私が専門とする品質管理・品質保証の考え方も同じである。小さな品質改善を行うと、大きなミス(欠陥によるリコール)が減少するのである。まずはお試しあれである。

お客様指向で

私事で恐縮ですが、私の両親は自営業を営んでおります。そのため私は幼少の頃から両親が自宅兼店舗で、お客様と接する様子を見て育ちました。
お客様に対して人一倍気を使う両親は、例えば店から見える所に私の好きだった巨人軍の選手のポスターを貼る事さえ禁止していました。つまり巨人軍のファンではないお客様が嫌な思いをしてはいけないという配慮なのです。

私たちの周りには、意外と「お客様の立場」で考えていないことがあります。
例えば「自動販売機」と言うのは、売り手のほうが「自動」であるわけで、購入者にとっては商品を選び、お金を入れ、出てきた商品を取り出すと言った作業を全部自分自身で行わなければなりません。けっして自動ではないわけです。また電話の自動交換機も、同様です。かつては(非常に古い話ですが…)電話機に向かって「そば屋」と言えば、オペレータがそば屋さんにつないでくれたわけです。自動になったのは電話局の側であるわけです。この自動と言う言葉を、”客”の方が何の疑いもなく使っているのは、実は不思議なことなんですね。

昨今、電子メールが多用される時代となりました。携帯電話の普及もあって、「日本人は親指で会話する」と海外で報じられたくらいです。電子メールの普及に伴って、私たちの仕事のスタイルも変わってきました。たとえば電話をかけるときに、「今、話していいですか?」と気遣う人が多くなりました。つまり、要件は電子メールで伝えればいいのに、電話だと相手の今の仕事を中断させてしまうからという配慮なのでしょう。
でも電子メールの”文化”は、別の問題も引き起こします。例えば、送ったら送りっぱなし、つまり頼んだら頼みっぱなしなんですね。相手の都合を聞かない、相手が了解したかどうかを確認しない、ということが多くあります。メールで用件を送ったことによって、責任が自分から相手に移ったと考える人も少なくないようです。実はメールの受信者には「見ない権利」があるはずなんです。後ほど電話でフォローするような心遣いがあってもいいように思います。たとえ社内であっても、仕事をお願いする場合は、その相手の人(または組織)をお客様と考えてみては如何でしょうか。社内・外を問わず、「お客様指向」と言うのは重要なのだと感じます。相手の立場になって物事を考えることが必要でしょう。

私は仕事柄、よく新幹線を利用します。新幹線に限らず、電車の車内アナウンスでは、「お忘れ物をしないようにご注意願います」と言うのが一般的です。ところがある日乗車した際の新幹線の車掌さんは、ちょっと違っていて「この列車に限りましては、忘れ物を固くお断りします」とアナウンスしたんですね。こういう風にちょっと違って言われると、普段は聞き流している車内アナウンスが新鮮で、必然的に注意が向いてしまいます。言葉だけを聞いていると、なんとも失礼なものの言い方なんですが、真意はやはり「お客様指向」なんですね。お客様のためを思って、忘れ物をしないようにという配慮がうかがえます。

考えてみれば、私どもコンサルタントもいわゆる接客業であります。会社の机に向かって仕事をするよりも、お客様先にお伺いして打合せを行っていることの方が多いわけです。プロジェクトの終了時には最終報告書を作成し、スポンサーに合格点をいただかないといけません。最終的にはお客様満足度調査を通じて、私どものコンサルテーションに対しての評価をお知らせいただきます。
しかしながら、コンサルテーションに対するお客様の満足と言うのはいったい何なのでしょうか。
医師が患者の悪いところを診断するがごとく、コンサルタントはクライアントの問題点を指摘します。その際にお客様の顔色を見て、当りさわりのない表現をしたり、あえて直接的な指摘を避けあいまいな表現をすることは、けっして「お客様指向」ではないはずです。
癌の告知ではないですが、はっきりと問題点を告げてもらいたいのがクライアントの本心でしょう。
もちろん、その先の解決策を示せなければ、落第点を頂く羽目になるわけですが...