筆者が常日頃から思ってきたことは、医薬品(ICH-Q9)や医療機器(ISO-14971)に関するリスクマネジメントのセミナーや書籍が皆目ないということである。
その理由は定かではないが、おそらくいずれも非常に難解であることと、網羅的に実践した経験者が圧倒的に少ないことに起因するのではないかと思われる。
本書は、筆者が通常定期的に開催しているリスクマネジメントに関するセミナーを収録し、文字起しを行ったものである。適宜、補足を加えてある。
また本書では、医薬品と医療機器のリスクマネジメントを両方取り扱う。医薬品と医療機器では、リスクマネジメントに関する対応方法や対象が異なる。しかしながらそのプロセスはほぼ同じである。
医薬品と医療機器で、どのようにリスクマネジメントの実施に差異があるかということにも言及した。
製薬業界では、リスクマネジメントに関する国際ルールが作成されたのは、非常に遅かった。食品業界には古くからHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)と呼ばれる安全管理手法が存在した。また医療機器業界では、1990年代から「医療機器 − 医療機器へのリスクマネジメントの適用」と題する国際規格であるISO-14971が作られてきた。
一方において、製薬業界ではICH Q9「品質リスクマネジメントに関するガイドライン」が作成されたのは、2005年である。つまり、リスクが高い医薬品において、標準的なリスクマネジメントに対するガイドラインが作成されたのは21世紀に入ってからなのである。20世紀までの医薬品におけるリスクマネジメントは、人の経験と勘によって管理されてきたのである。このことは驚きである。
一方、医療機器には何らかのリスクが存在している。何らかのリスクを抱えた状態で市場へ出荷され、事故が起る前に予防策として、あらゆるリスクを検出し、それによって患者やユーザに危害を及ぼさないようにするのがリスクマネジメントの主目的である。市場からの製品(類似製品を含む)に関するフィードバック情報も重要な要素となる。この活動はPDCAを基本としている。
ところで、読者は医薬品のリスクマネジメントと医療機器のリスクマネジメントでは、どちらが難しいと思うであろうか。筆者の経験では、医薬品の方が難しいと考えている。医療機器におけるリスクは、患者やユーザに対して「ダイレクト」である。多くの医療機器は、患者、ユーザ、オペレータ、臨床検査技師などと直接接触する。どんなリスクが発生するのかということが、比較的把握しやすい。
ところが医薬品の場合は、構造設備、装置、システムなどを使用して製品を製造する。その際に、構造設備、装置、システムなどが故障したり、不具合が発生した場合は、医薬品の品質に欠陥が生じる。その欠陥が潜んだ医薬品が患者に投薬されたときに、どんな健康被害につながるかということを推定しなければならない。いわば、医薬品のリスクマネジメントは、「インダイレクト」なのである。筆者は、どちらかというと、医薬品のリスクの方が掴みづらいと感じている。
本書では、第1章において、リスクとは何かということを解説する。リスクという言葉は、人によって捉え方が異なる。国際規格などでもいろいろな解釈がある。しかも国際規格も、年々変化してきている。リスクマネジメントは、もともと統一された規格が存在したわけではなく、食品業界、医療機器業界、経済学などといった各分野で別々に発生してきた経緯を持つ。そこでリスクマネジメントの国際規格をつくるためのガイドにISO/IECガイド51というものが作成された。
第2章では、R-MAP手法をご紹介する。一般にリスクとは『危害の発生する確率と重大性の組合せ』とされている。我々は、知らず知らずのうちにこのように確率と重大性を頭の中で掛けあわせてリスクを判断しているのである。ただし、発生確率も重大性も曖昧な表現になりがちである。それぞれ定性的な表現と定量的な表現を用いられる。
第3章では、用語の解説を記載した。筆者はリスクマネジメントに関して、コンサルテーションやセミナーを多く実施しているが、用語の使い方を間違えていることに気付くことが多い。用語を間違って使用すると、コミュニケーションに齟齬が発生し、誤解を与える危険性がある。リスクに関して誤解をしてしまうということは、非常に問題がる。用語を適切に学び、正確に使用することが望まれる。
第4章では、一般的なリスクマネジメントのプロセスをご紹介する。このプロセスは、医薬品業界でも医療機器業界でも同じである。
第5章では、医薬品におけるリスクマネジメントを取り上げる。
まず、FDAが2003年9月から、ヒト用の医薬品に関して実施している「リスクベースドアプローチ」という医薬品監視の基本的な考え方を解説する。リスクベースドアプローチは、医薬品のリスクに応じて監視(査察)や指導を行うといった考え方である。リスクベースドアプローチには、医薬品企業のコンプライアンスコストを下げるという目的がある。企業がすべての製品やプロセスなどのあらゆるリスクを潰そうとすると、多くのコストがかかる。そこで、医薬品毎や製造プロセス毎のリスクに応じた品質保証を求めるということが考え出された。例えば、ビタミン剤、栄養剤などは患者に危害を与えるリスクは高くない。それに対して、抗がん剤、抗ウイルス薬、血液製剤などは、リスクが高く、それら医薬品を製造する製造所については、頻繁に査察を実施し、多くの指摘を行うことになる。
FDAがリスクベースドアプローチを提唱して以降、PIC/S(The Pharmaceutical Inspection Convention and Pharmaceutical Inspection Co-operation Scheme:医薬品査定協定・医薬品査察協同スキーム)やICH(International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use:日米EU医薬品規制調和国際会議)などでも同様にリスクベースドアプローチという概念を導入した。
続いて本章では、医薬品業界で遵守が求められる、ICH-Q9「品質リスクマネジメントに関するガイドライン」について解説を行う。
第6章では、医療機器におけるリスクマネジメントをとりあげる。医療機器の場合、そのリスクは医薬品と違い、ダイレクトに患者に影響する。また設計図面のとおり適切に製造したからといって、安全な医療機器になるという保証はない。なぜならば、もとになる設計が間違っているかもしれないからである。
また、ユーザ要件が正しいとも限らない。医療機器は、医師等が実際の医療現場で使用してみて、新たなハザードが発見されることが多い。従って、製品のライフサイクルを通じて、より安全な医療機器とするために常に設計変更を行わなければならない。
さらに医療機器の特徴は、機器が正常に動作していたとしても、オペレータなどが操作を間違うといったいわゆる『誤使用』といったヒューマンエラーにも注目しなければならない。
第7章は、具体的なリスク分析手法を解説する。リスクを分析する手法は、著名なものだけでも20種類以上存在する。例えば、FMEA、FTA、HACCP、HAZOPなどである。本書においては、医薬品企業や医療機器企業でしばしば使用されるFMEAやFTAを中心に解説を行う。
第8章は、コンピュータ化システムにおけるリスクマネジメントを解説する。つまり、医薬品または医療機器を製造する自動化設備などにおける品質保証、バリデーションの考え方、リスク分析、リスクマネジメントの考え方を解説する。