電子署名について
電子署名は、紙の署名・捺印を単に画面上に置き換えたものではない。規制当局が求めているのは「誰が」「いつ」「どういう意味で」その記録を確定させたのかを、後から否認できない形で立証できることである。本稿では、米国 21 CFR Part 11 と日本の電子署名法・厚労省ER/ES指針の条文に即して、電子署名に何が要求されているのかを整理する。あわせて、実務で繰り返し見られる要求事項の過小評価(本来必要な統制を「不要」と判断してしまう誤り)を条文に照らして訂正する。
1. 21 CFR Part 11 の成立と現在の位置づけ
| 時期 | 出来事 | 根拠 |
|---|---|---|
| 1997年3月20日 | FDAが 21 CFR Part 11 “Electronic Records; Electronic Signatures” を最終規則として公布 | 62 FR 13430(規則本文は62 FR 13464) |
| 1997年8月20日 | Part 11 発効。この日より前から稼働していたシステムが、いわゆるレガシーシステムとして扱われる | 68 FR 52779(”August 20, 1997, the effective date of part 11″) |
| 2003年2月25日 | Scope and Application ガイダンスのドラフト公表。あわせて Compliance Policy Guide 7153.17 および Part 11 関連のドラフトガイダンス群を撤回 | 68 FR 8775 |
| 2003年9月5日 | 最終版ガイダンス「Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures — Scope and Application」の公示。Part 11 の範囲を狭く解する方針と、特定要求に対する執行裁量を提示 | 68 FR 52779(Docket No. 2003D-0060) |
| 2023年3月2日 | §11.100(c) を改正(証明書の提出先をFDAのウェブページ案内に変更) | 88 FR 13018 |
| 2026年8月現在 | Part 11 は現行有効。Scope and Application ガイダンスも撤回されていない | eCFR 21 CFR Part 11 |
旧来の解説では「FDAは1997年8月20日にPart 11を発行した」と書かれることがあるが、これは公布日と発効日の混同である。公布は1997年3月20日、発効が1997年8月20日である。この区別は、レガシーシステムの範囲を判定する際に実務上の意味を持つ。
Part 11 の制定経緯について、医薬品の製造記録や試験記録が電子化される一方で署名のためだけに紙へ印刷せざるを得ず、業界側がペーパーレス化の要件提示をFDAに求めた、という説明が広く流布している。本稿ではこの経緯の当否を一次情報で確認できなかったため、断定を避ける。確認できるのは、Part 11 が「公衆衛生を保護するというFDAの責務と両立する範囲で、電子技術の可能な限り広い利用を認めること」を意図した規則であるという、FDA自身の説明である(68 FR 52779)。
2. 電子署名に求められる二つの本質
電子署名に求められる本質は、日米いずれの制度でも共通して本人性の確保と非改ざん性の確保の二点に整理できる。いずれも、後から「自分は署名していない」「記録は当時と違う」と主張されることを封じるための措置である。日本の電子署名法は、この二点をそのまま定義に組み込んでいる。
この法律において「電子署名」とは、電磁的記録(中略)に記録することができる情報について行われる措置であって、次の要件のいずれにも該当するものをいう。
一 当該情報が当該措置を行った者の作成に係るものであることを示すためのものであること。
二 当該情報について改変が行われていないかどうかを確認することができるものであること。出典:電子署名及び認証業務に関する法律(平成12年法律第102号)第2条第1項
同法第3条は、電磁的記録に「本人による電子署名(これを行うために必要な符号及び物件を適正に管理することにより、本人だけが行うことができることとなるものに限る)」が行われているときは、真正に成立したものと推定すると定める。この括弧書きこそが、署名鍵やパスワードの管理を利用者の責任とする根拠であり、管理がずさんであれば推定効そのものが揺らぐ。
3. 本人性をどう担保するか
3.1 署名のたびに何が必要か
「ログオン時にパスワードを入力しているのだから、署名のたびに入力する必要はない」という運用は、Part 11 の下では成立しない。端末を離れた隙に他人が署名できてしまうためである。Part 11 §11.200(a)(1) は、生体認証によらない電子署名について次のように定める。
| 状況 | 条文上の要求 | 根拠 |
|---|---|---|
| 署名は、識別コードとパスワードのような2つ以上の異なる識別要素を用いること | Employ at least two distinct identification components such as an identification code and password. | §11.200(a)(1) |
| 管理下のアクセスが連続している一つの期間中に複数回署名する場合 | 最初の署名は全構成要素を用いる。以降の署名は、本人のみが実行でき、本人のみが使用するよう設計された構成要素を少なくとも1つ用いる | §11.200(a)(1)(i) |
| 連続した一つのアクセス期間中ではない署名 | その都度全構成要素を用いる | §11.200(a)(1)(ii) |
| いずれの場合も | 真の所有者のみが使用すること、および本人以外による使用の試行には2名以上の共謀を要するように運用・管理すること | §11.200(a)(2)(3) |
実装上は「セッション中の2回目以降もパスワード入力を求める」形が一般的であり、これは §11.200(a)(1)(i) の「本人のみが実行できる構成要素を少なくとも1つ」を満たすものとして設計される。いずれにせよ、署名の都度、本人しか実行できない操作が介在しなければならないという点は動かない。
3.2 なりすましへの備え
他人にパスワードを教えて代理で署名させる行為、すなわちなりすましは、電子署名では筆跡が残らないため、記録の外形だけを見ても発見しにくい。ただし「絶対に発見できない」という断定は正しくない。監査証跡上の操作時刻とアクセスログ・入退記録・勤務記録との突合、同一端末からの短時間の連続署名、休暇中の署名といった痕跡から検出され得る。したがって「発見されない」ことを前提に統制を省く判断は取るべきではない。
Part 11 は、なりすましへの備えとして技術と組織の双方を要求している。
① 個人への責任付与を定めた文書化された方針(§11.10(j))
“The establishment of, and adherence to, written policies that hold individuals accountable and responsible for actions initiated under their electronic signatures, in order to deter record and signature falsification.” 記録および署名の偽造を抑止するため、自らの電子署名の下で開始された行為について個人に責任を負わせる方針を定め、これを遵守することが求められる。署名者本人から誓約書を取得する社内運用は、この条項に対応する実務上の手段である。
② 教育訓練(§11.10(i))
電子記録/電子署名システムを開発・保守・使用する者が、その職務を遂行するための教育、訓練および経験を有していることの確認が求められる。
③ FDAへの証明(§11.100(c))
電子署名を使用する者は、使用に先立ちまたは使用時に、自らのシステムにおける電子署名が従来の手書き署名と法的に等価であることを意図している旨をFDAに証明しなければならない。この証明は手書き署名で署名して提出する。これは組織がFDAに対して行う手続であり、①の社内誓約書とは別のものである。両者を混同している企業が多い。
④ ID/パスワードの統制(§11.300)
識別コードとパスワードの組合せの一意性、発行の定期的な点検・回収・更新、紛失・盗難時の失効手順、不正使用の防止と即時報告、トークン等の初期・定期試験が要求される。
4. 非改ざん性と「署名と記録の結合」
ここは誤解が最も多い領域である。Part 11 の条文が実際に要求しているのは、次の二点である。
§11.70 Signature/record linking. Electronic signatures and handwritten signatures executed to electronic records shall be linked to their respective electronic records to ensure that the signatures cannot be excised, copied, or otherwise transferred to falsify an electronic record by ordinary means.
§11.10(e)(抜粋) Use of secure, computer-generated, time-stamped audit trails to independently record the date and time of operator entries and actions that create, modify, or delete electronic records. Record changes shall not obscure previously recorded information.
出典:21 CFR §11.70 および §11.10(e)(eCFR、Source: 62 FR 13464, Mar. 20, 1997)
「署名後の記録は変更不可でなければならない」は条文の要求ではない
Part 11 が求めているのは、署名が記録から切り離され、複製され、または他の記録へ移されることによって偽造が行われないこと(§11.70)と、変更が従前の記録を覆い隠さないこと(§11.10(e))である。記録そのものを物理的に変更不可にすること、および変更時に署名が自動的に無効化されることは、条文上の要求ではない。
デジタル署名(暗号技術に基づく電子署名)を用いた場合、記録を改変すると署名検証が失敗する。これは採用した技術の性質であって、Part 11 が全ての電子署名に課している要件ではない。技術の性質と規制要求を混同すると、要求されていない機能に投資し、逆に本当に必要な監査証跡や結合の検証が手薄になる。
5. 署名に表示すべき情報(§11.50)
| 21 CFR §11.50(a) | 厚労省ER/ES指針 第4項 | 実装上の注意 |
|---|---|---|
| (1) The printed name of the signer(署名者の印字された氏名) | 署名者の氏名 | アカウントIDではなく氏名であること |
| (2) The date and time when the signature was executed(署名が実行された日付および時刻) | 署名が行われた日時 | 条文は「日付及び時刻」を求めており、分単位という明示はない。ただし2003年ガイダンスはタイムスタンプが明確に参照できるようにすべきとしており、実務上はタイムゾーンを含めて曖昧さのない粒度で記録する |
| (3) The meaning (such as review, approval, responsibility, or authorship)(署名の意味。確認、承認、責任、作成など) | 署名の意味(作成、確認、承認等) | 最も欠落しやすい項目。画面には表示されるがPDF出力で落ちる実装が多い |
§11.50(b) は、これら3項目が電子記録と同等の統制の下に置かれ、かつ人が読める形式(画面表示や印刷)の一部として含まれることを求めている。表示は画面だけでは足りず、出力物にも現れなければならない。
6. よくある誤解の訂正
以下は、電子署名の解説として流布しているが、条文および公式ガイダンスに照らすと成り立たない説明である。いずれも「本来必要な対応を不要と判断してしまう」方向の誤りであり、実務上のリスクが大きい。
| よくある説明 | 条文・ガイダンス上の正しい理解 | 根拠 |
|---|---|---|
| 「Part 11 の厳格な遵守が求められる電子署名は、製品品質・安全性に関する記録への承認行為のみである。作成者や確認者の署名は必ずしもPart 11の遵守が要求されない」 | 誤り。Part 11 の適用は、記録が根拠規則(predicate rule)上の記録要件に基づいて電子形式で作成・変更・保持・保管・取出・伝送されるか否かで決まり、署名の種別で決まるものではない。§11.50(a)(3) は署名の意味として “review, approval, responsibility, or authorship” を明示的に列挙しており、確認や作成の署名も対象に含まれる。厚労省ER/ES指針第4項も「作成、確認、承認等」と列挙している。根拠規則が求める署名を電子的に行う以上、作成者署名・確認者署名にもPart 11の要求は及ぶ | 21 CFR §11.1(b)、§11.50(a)(3)/ER/ES指針 第4項 |
| 「電子署名関連の規定にも執行裁量が及ぶので、実質的に緩い」 | 誤り。2003年ガイダンスの執行裁量はバリデーション、監査証跡、記録の保存、記録の複製、およびレガシーシステムに限られる。FDAは “We intend to enforce all other provisions of part 11 including, but not limited to, certain controls for closed systems in Sec. 11.10, the corresponding controls for open systems (Sec. 11.30), and requirements related to electronic signatures (e.g., Sec. Sec. 11.50, 11.70, 11.100, 11.200, and 11.300).” と明記している。電子署名関連条項は執行裁量の対象外である | 68 FR 52779 |
| 「SOPや教育記録は重要でないかもしれないとFDAは述べている」 | 出典を確認できない。FDAの公表文書に、SOPや教育記録の重要度を否定する記述は確認できなかった。Part 11 の適用有無は根拠規則によって決まるものであり、記録の種類を一般論で重要/非重要に区分する考え方はガイダンスに示されていない。なお、2003年ガイダンスは記録が引き続き根拠規則に従って保持・提出されなければならないことを明記している | 68 FR 52779(”records must still be maintained or submitted in accordance with the underlying predicate rules.”) |
| 「署名した電子記録は変更不可でなければならず、変更されれば署名は無効になる」 | 条文の要求ではない。要求されているのは署名と記録の結合(§11.70)と、変更が従前情報を覆い隠さないこと(§11.10(e))である。第4章参照 | 21 CFR §11.70、§11.10(e) |
| 「なりすましは査察時に絶対に発見できない」 | 断定しすぎ。筆跡が残らないため外形からは判別しにくいが、監査証跡と勤務記録・入退記録・アクセスログの突合によって検出され得る | ― |
| 「CSAガイダンスによってPart 11 は置き換えられた」 | 誤り。CSA最終ガイダンス(連邦官報告示 2025年9月24日、Docket FDA-2022-D-0795)が置き換えるのは “General Principles of Software Validation” の Section 6 のみであり、Part 11 の要求は独立して存続する | FDA CSA最終ガイダンス |
7. リスクベースドアプローチの正しい射程
Part 11 対応で過剰投資を避けるという発想自体は正しい。2003年ガイダンスも、Part 11 の一部要求が「電子技術の利用を不必要に制限し」「規則制定時に想定されなかった程度にコンプライアンス費用を増大させ」「公衆衛生上の便益なしに技術革新を妨げる」という懸念に応えて発出されたものである。しかし、リスクベースの判断が働く範囲は限定されている。
リスクベースで調整できる範囲/できない範囲
調整の余地がある領域:バリデーションの深さと範囲、監査証跡の対象項目とレビュー頻度、記録の保存方式、記録の複製方法、レガシーシステムの扱い。これらは2003年ガイダンスが執行裁量に言及した領域であり、製品品質および患者安全へのリスクに応じた合理的な設計が認められる。
調整の余地がない領域:そもそもその記録が根拠規則の要求する記録に該当するか否か(該当すればPart 11の対象となる)、および §11.10・§11.30 の統制、§11.50・§11.70・§11.100・§11.200・§11.300 の電子署名関連要求。FDAはこれらを執行すると明言している。
すなわちリスクベースドアプローチは「どこまで作り込むか」を決める道具であって、「対象かどうか」を自社の判断で外すための道具ではない。適用対象から外す判断は、根拠規則に立ち返って行わなければならない。
8. 2026年時点で取るべき対応
2026年時点で取るべき対応
- 電子署名の対象を「承認行為のみ」に絞っていないか点検する。作成者署名・確認者署名も、根拠規則が求める署名であれば Part 11 および厚労省ER/ES指針の対象である。この誤解に基づいて統制を外している場合は、速やかに適用範囲を見直す。
- 署名の3項目(氏名・日時・意味)が、画面だけでなく印刷物およびエクスポート結果に現れることを実機で確認する。§11.50(b) は人が読める形式に含まれることを要求している。
- 署名の都度、本人しか実行できない操作が介在する設計になっているかを確認する。連続アクセス期間中でも、2回目以降に少なくとも1つの本人専用構成要素が必要である(§11.200(a)(1)(i))。
- §11.10(j) に基づく方針文書と、署名者からの誓約取得の運用を整備する。これはFDAへの証明(§11.100(c))とは別の手続である。米国向けに電子署名を使用する場合は、§11.100(c) の証明が済んでいるかも確認する。
- 「変更不可」の実装に投資する前に、§11.70 の結合と §11.10(e) の監査証跡が要求どおりに機能しているかを検証する。署名の切り離し・複製・移転が「通常の方法では」できないことを、実際に試験して記録に残す。
- ID/パスワード統制(§11.300)の各項目を手順書に落とす。一意性、定期点検、失効手順、不正使用の即時報告、トークン等の試験。国内向けのみを想定した手順書ではここが手薄になりやすい。
- 公布日と発効日を社内文書で正しく記載する。Part 11 は1997年3月20日公布、1997年8月20日発効。レガシーシステムの判定はこの発効日を基準とする。
- CSAをPart 11の代替と誤解しない。CSAが置き換えるのは “General Principles of Software Validation” の Section 6 のみである。
日本国内の申請等における電磁的記録・電子署名の要求事項については、厚労省ER/ES指針の逐条解説および実務対応編を参照されたい。社内ポリシーの雛形はER/ES指針対応ポリシーのサンプルにまとめている。
本稿の記載は2026年8月時点の情報に基づく。解釈の誤り等がありましても当社では責任を負いかねる。本文書の改訂は予告なく行われることがある。
出典・一次情報源
- eCFR「21 CFR Part 11 — Electronic Records; Electronic Signatures」(Source: 62 FR 13464, Mar. 20, 1997、as amended) https://www.ecfr.gov/current/title-21/chapter-I/subchapter-A/part-11
- Federal Register 68 FR 52779「Guidance for Industry on “Part 11, Electronic Records; Electronic Signatures—Scope and Application”; Availability」(2003年9月5日、Docket No. 2003D-0060) https://www.federalregister.gov/documents/2003/09/05/03-22574/
- Federal Register 68 FR 8775「Draft Guidance … and Withdrawal of Draft Part 11 Guidance Documents and a Compliance Policy Guide」(2003年2月25日) https://www.federalregister.gov/documents/2003/02/25/03-4312/
- e-Gov法令検索「電子署名及び認証業務に関する法律」(平成12年法律第102号、2000年5月31日公布/2001年4月1日施行) https://laws.e-gov.go.jp/law/412AC0000000102
- 厚生労働省「医薬品等の承認又は許可等に係る申請等における電磁的記録及び電子署名の利用について」(平成17年4月1日 薬食発第0401022号) https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta8216&dataType=1&pageNo=1
- 法務省「電子署名法の概要と認定制度について」 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji32.html
- FDA「Computer Software Assurance for Production and Quality System Software」最終ガイダンス(連邦官報告示 2025年9月24日、Docket FDA-2022-D-0795) FDA Guidance Documents
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