AIには腸がない!?
腹が立つのは、頭ではなく腹である
このところ「腸活」という言葉をよく耳にする。ヨーグルト、食物繊維、発酵食品。
腸を整えれば体調がよくなる、気分まで変わる、という話である。だが、腸と気分を結びつける発想そのものは、決して新しいものではない。人は古くから、感情と腹の感覚を重ねて語ってきた。
日本語を思い出していただきたい。腹が立つ。腹に据えかねる。
腹を割って話す。腹黒い。はらわたが煮えくり返る。
断腸の思い。ーー怒り、誠実さ、悪意、悲しみ。感情や人柄を表す言葉には、頭ではなく腹に結びつけたものが少なくない。
これは日本語だけの癖ではない。英語にも gut feeling(腹の感覚=直感)があり、butterflies in the stomach(胃の中の蝶=緊張)がある。文化も言語も違うのに、人は昔から、感情の在りかを腹に見てきた。
もっとも、こうした慣用句が現代の腸脳相関研究を先取りしていた、というわけではない。あくまで、人間が身体のどこで感情を感じてきたかを示す例として眺めておきたい。
腸は「第2の脳」である
腸に独自の神経系があることは、以前から知られていた。
米国の神経科学者マイケル・ガーションは、1998年の著書『The Second Brain』で、腸を「第2の脳」と呼ぶ見方を広く知らしめた〔注1〕。
腸には、腸管神経系と呼ばれる独自の神経ネットワークがある。ヒトの腸管神経系には少なくとも1億個規模のニューロン(神経細胞)があるとされるが、推計値は対象とする範囲や測定方法によって大きく異なる〔注2〕。
この神経系は局所の反射回路をもち、中枢からの逐一の指令がなくても、蠕動や分泌をある程度自律的に調節できる。ただし、完全に脳から独立しているわけではなく、自律神経、内分泌系、免疫系からの調節も受けている。それでも、腹の中にもう一つ小さな神経の司令部があるようなものだ、とは言えるだろう。
情報の流れも興味深い。脳と内臓をつなぐ迷走神経は、脳から内臓へ指令を送るだけでなく、内臓の状態を脳へ伝える多数の求心性線維を含んでいる。一般に、その線維の約8割が求心性と説明される。
ただしこれは腸だけの話ではなく、心臓や肺など複数の内臓からの情報を含んだ数字である〔注3〕。それでも、脳が一方的に命令しているというより、身体の側からの「報告」が絶えず上がっている、という構図は見えてくる。
セロトニンについても、よく知られた事実がある。
体内のセロトニンの大部分は消化管で産生され、その主な産生細胞は腸クロム親和性細胞である〔注4〕。ただし、末梢のセロトニンがそのまま脳へ入って気分を左右するわけではない。セロトニンは血液脳関門を容易には通過せず、末梢のセロトニン系と脳内のセロトニン系は区別して考える必要がある。
腸と脳は、神経、免疫、内分泌、代謝物など複数の経路を通じて相互に影響し合っているーーというのが、より正確な描き方である。
そのうえで、あえて言ってみたい。「腹が立つ」というのは、まったくの比喩ではなかったのかもしれない、と。
脳より古い、栄養を取り込む仕組み
もう一つ、面白い話がある。進化の順序である。
クラゲやイソギンチャクには、集中化した脳がない。
神経細胞は体じゅうに網の目のように散らばっているが、司令塔としての脳は持っていない。それでも彼らはちゃんと生きている。刺激に応答し、餌を捕らえ、消化する。
一方、栄養を取り込む仕組みを持たない動物はほとんどいない。もちろん例外はある。海綿(スポンジ)には消化管がなく、細胞が一つずつ餌を取り込む。
サナダムシに至っては、進化の過程で腸を失い、体表から栄養を吸収するようになった。消化管を持たない動物は、実は他にもいる。とはいえ、これらは特殊化した工夫であって、多くの動物が消化管を軸に身体をつくってきたことは変わらない。
では、消化管と脳のどちらが先か。よく語られるのは「まず管ができ、その周りに神経の網ができ、その一部が頭側で密集して脳になった」という筋書きである。分かりやすい物語だが、確定した進化史ではない。
神経系の起源、腸管神経系と中枢神経系の関係、頭化の時期については複数の仮説があり、現生の単純な動物がそのまま祖先の姿を保存しているとも限らない。
現時点で言えるのは、このあたりまでである。動物進化の初期には、摂食・消化を行う身体構造と、それを調節する神経系とが密接に共進化したと考えられている。
その後、左右相称動物の一部で、進行方向の前端に感覚器と神経細胞が集中する「頭化」が進んだ。
化石記録も、この大まかな流れとは矛盾しない。エディアカラ紀の末までに、左右相称動物の運動や消化管の存在を示唆する証拠が現れ〔注5〕、カンブリア紀には頭部・感覚器・中枢神経系の発達した動物が多様化する。
ただし、軟らかい神経組織は化石に残りにくい。「消化管が先で脳が後」と化石だけから断定することはできない。
それでも、脳を持たない動物は数多くいるのに、栄養を取り込む仕組みを持たない動物はごく限られる、という非対称は残る。
腸を「第2の脳」と呼ぶのは、少しばかり後輩に敬意を払いすぎた呼び方かもしれない。
そして、ここが肝心なのだが、身体と神経のこの関係は、感情の成り立ちにも関わっている。
感情とは、身体からの報告を読むことである
私たちは、感情を「心の動き」だと思っている。
しかし神経科学の側からの説明は、少し違う。
怖いと感じるとき、心臓は速く打ち、手は汗ばみ、胃のあたりが締めつけられる。素朴には「怖いから身体が反応する」と考える。
だが、古典的なジェームズ=ランゲ説以来、身体の変化を脳が読み取ることが感情経験の一部をなす、という見方が繰り返し提案されてきた。現在の多くの理論では、身体の反応と脳の予測・状況理解とが再帰的に影響し合うと考えられており、「常に身体が先」と単純化できるわけではない。
アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説は、過去の結果と結びついた身体状態の表象が、将来の選択肢の評価を偏らせ、意思決定の道しるべになると論じた。
理屈では説明できないが「なんとなく嫌な予感がする」というあの感覚は、判断を早める仕組みだ、というわけである。リサ・フェルドマン・バレットの構成主義的情動理論は、やや異なる立場から、身体の内側から届く信号(内受容感覚)に脳が概念的な意味を与えることで感情が構成される、と説明する〔注6〕。両者は同じ主張ではないが、身体状態の表現を重視する点では通じている。
理論ごとの違いは大きい。しかし少なくとも、人間の感情経験に、内受容を含む身体状態の表現が深く関わっているという点は、多くの研究で重視されている。空腹、動悸、胃の痛み、喉の渇き、体温の変化。
生きている身体が絶えず送ってくる報告があり、それを読み解く仕組みがあって、感情が立ち上がる。
AIには腸がない
さて、AIである。
現在一般に使われている生成AIには、腸がない。
胃も、心臓も、体温もない。空腹にならないし、緊張で手が震えることもない。徹夜しても疲れないし、上司に叱られて腹が立つこともない。
守るべき身体を持っていないのである。
生き物にとって、感情は贅沢品ではなかった。危険を避け、餌を得て、体温を保ち、身体を存続させるために進化した仕組みである。
恐怖は逃げるために、怒りは押し返すために、不快は近づかないためにある。守るべき身体がないところに、その仕組みが生まれる必然性はない。
そしてAIは、感情について実によく語る。
「それはお辛かったですね」と書くこともできるし、怒りとは何かを何千字でも説明できる。だが、現在一般に使われている生成AIが、空腹、痛み、恐怖といった主観的経験を持つことを示す科学的証拠はない。感情を表す文章を生成できることと、感情を経験していることは別である。
楽譜を完璧に読める人が、その曲を聴いたことがあるとは限らない。それに近い。
なお、主観的経験の有無を外から測定する確立した方法はまだない。
だからここでは、「AIに感情はないと証明された」ではなく、「感情があると考える根拠はなく、業務上はないものとして扱うのが妥当である」という言い方をしておきたい。
では、人型ロボットならどうか
いま、人型ロボットの開発が急速に進んでいる。二足歩行し、物をつかみ、人と並んで作業する。
触覚センサーで圧力を検知し、温度を測り、バッテリー残量を「空腹」として扱うこともできる。身体を持つのだから、感情も持てるのではないかーーそう考えたくなる。
しかし、まだ隔たりがある。
センサーは値を返す。人間の身体が返してくるのは、単なる値ではない。「このままでは壊れる」「この状態が続くと死ぬ」という、取り返しのつかなさとセットになった報告である。
生き物の身体は、失敗したらそれきりなのである。
象徴的なのが電源の扱いである。人型ロボットでは、停止時間を短くするため、交換可能あるいはホットスワップ対応をうたうバッテリー設計が採用されることがある。
Agility Robotics の Digit や Apptronik の Apollo はその例として紹介される。ただし、交換中に動作を継続できるのか、再起動が必要なのかは機種・世代によって異なり、公式仕様の確認が要る〔注7〕。いずれにせよ、ロボットの「空腹」は、抜き差しで解消しうるものである。
人間の空腹は、そうはいかない。交換用の身体は用意されていない。ロボットは部品を交換できるし、データはバックアップから戻せる。
開発現場では、わざと転倒させ、破損させ、直してまた試す。
ここから先は推測である。取り返しがつくところには、切実さが生まれにくい。
感情の核にあるのは、おそらくセンサーの数ではなく、「この身体は一つしかない」という条件のほうではないかーーこれは一つの考え方であって、実証された命題ではない。原理的には、不可逆な停止、複製不能な記憶、厳しい資源制約、自己維持の目標といった条件を人工物に設計することもできる。それが主観的な感情を生むかどうかは、未解明である。
将来この隔たりが埋まらないとは断言できない。だが少なくとも現時点では、AIやロボットが表す感情は、人間の側が読み取っている感情である、と考えておくのが安全である。
感情がないことは、弱点でもあり、強みでもある
ここで、悲観する必要はない。
感情がないことには、はっきりした利点がある。
AIには生理的な疲労や不機嫌がない。何度同じ質問をされても不機嫌にならないし、深夜だから気力が落ちるということもない。
人間の疲労や感情の変動に由来するばらつきを、その分は受けにくい。人間の判断を狂わせる要因の多くは感情から来るのだから、これは品質上の長所である。
ただし、「疲れない」ことと「常に同じ品質で正しい」ことは別である。
AIの出力品質は、入力の内容、文脈の長さ、モデルの更新、設定、確率的な生成、外部ツールや検索の状態などによって変動する。会話の中で生じた誤りが積み上がることもある。また、AIは面子を感じないが、利用者の誘導に迎合したり、直前の自分の回答との整合を優先したり、学習データ上の権威に引きずられたりして、結果として人間の固執に似た挙動を示すことはある。
「感情がないから常に公正で安定している」とまでは言えない。
そして、より重要なのは裏返しのほうである。AIは「なんとなく気持ちが悪い」と感じない。
数字は合っているのに何か引っかかる、書類は揃っているのに現場の空気と合わない、説明は筋が通っているのに腑に落ちないーーベテランが立ち止まるときの、あの感覚がない。
私たちが「腹落ちする」「腑に落ちる」と言うとき、実は身体で判断している。そして熟練者のこの違和感が、追加確認や調査のきっかけになることは、現場ではしばしば起きている。
AIには、それがない。異常検知や不確実性の推定によって「止まる」ことはできるが、それは明示された基準や学習済みのパターンに乗った停止である。基準に触れない逸脱を、主観的な違和感を理由に止めることは期待できない。
だから、止める条件は人が決める
ここに、AIを業務で使うときの要点がある。
AIは「おかしい気がする」で立ち止まらない。ならば、立ち止まる条件をあらかじめ言葉にして、外側から与えておくしかない。
何が起きたら止まるのか。誰を呼ぶのか。どこまでなら進んでよいのか。
ーー人間が違和感で行っていたことを、設計として書き下ろす作業である。
当研究会でこれまで議論してきた受入基準、停止条件、エスカレーション経路は、言ってみればAIに腸を外付けする試みである。本人が腹を立ててくれないのだから、代わりに腹を立てる仕組みを、こちらで用意しておくのである。
そして最後に腹落ちするのは、やはり人間である。査察官の表情を読み、現場の空気に違和感を覚え、「この説明では通らない」と感じるのは、腸を持っている側の仕事である。
ただし、ここには注意が要る。
違和感そのものを判定根拠にしてはならない。違和感は結論ではなく、追加確認を開始するシグナルである。最終的な判断は、記録可能な証拠と、あらかじめ定めた基準に基づいて行う。
そうでなければ、属人性と認知バイアスを「ベテランの勘」として正当化することになりかねない。
AIに任せる範囲が広がるほど、この「腹の感覚」を持つ人をどこに座らせるか、そしてその感覚をどう記録可能な確認手順に変換するかが、設計の中心になっていく。
腸活が流行るのも、案外、理にかなっているのかもしれない。
第13回研究会では、『生成AI利用管理SOP』の確定版を提示する。今回新設したループ運用の章は、煎じ詰めれば「AIの代わりに腹を立てる仕組み」を、文書として書き下ろす作業である。何が起きたら腹を立てるのか。
誰が呼ばれるのか。そこまで書いて、初めて任せられる。腸を持たない相手に仕事を任せるとは、そういうことである。
注
注1:Michael D. Gershon, The Second Brain, HarperCollins, 1998. 腸を「第2の脳」と表現する見方を広く知らしめた代表的著作。
注2:ヒトの腸管神経系のニューロン数は、対象範囲(小腸のみか全消化管か)や推定方法によって大きく異なり、文献間で桁に近い幅がある。近年、ヒト組織の計測に基づく推定値も報告されている。
〔公開前に、著者名・論文タイトル・誌名・巻号・DOIを一次資料で確認のうえ記載すること。あわせて、その値が全消化管の実測値か一部標本からの外挿値かを明記する〕
注3:迷走神経線維の約8割が求心性(内臓から中枢へ)とする説明が広く用いられる。ただしこれは消化管に限らず、心臓・肺を含む複数の内臓からの求心性線維を含んだ比率である。
また、線維の比率がそのまま機能的な優位を意味するわけではない。
注4:体内のセロトニンの大部分は消化管で産生され、主な産生細胞は腸クロム親和性細胞である。ただし末梢セロトニンと中枢セロトニンは機能的に区別され、末梢のセロトニンがそのまま血液脳関門を通過して脳内セロトニン系に加わるわけではない。
注5:エディアカラ紀末の左右相称動物に関する化石研究として Schiffbauer et al., Nature Communications, 2020 ほか。〔公開前に、論文タイトル・対象化石・年代・論文が実際に支持する主張の範囲を確認すること。特に「貫通型消化管の存在」と「左右相称動物の運動痕跡」は証拠の性質が異なるため、区別して記載する〕
注6:Antonio Damasio, ソマティック・マーカー仮説(『デカルトの誤り』1994年ほか)/Lisa Feldman Barrett, 構成主義的情動理論(『How Emotions Are Made』2017年)。
両理論は身体状態の表現を重視する点で通じるが、感情の生成機序についての主張は同一ではない。〔可能であれば、両理論の科学的位置づけを整理した総説を併記〕
注7:人型ロボットのバッテリー容量、稼働時間、交換方式は機種・世代によって異なり、非公開の場合も多い。〔公開前に、Agility Robotics(Digit)および Apptronik(Apollo)の公式仕様・公式発表を機種別に確認し、URLを明示すること。
「交換中も動作を継続できる」のか「停止後に短時間で交換できる」のかを区別する。確認できない場合は、機種名および「再起動せずに」という記述を削除する〕
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