明日があるなら
船上の同時対局
シドニィ・シェルダンの小説『明日があるなら』(If Tomorrow Comes、1985年)であるに、忘れがたい場面がある。
豪華客船の上で、一人の女性が、チェスの世界的名人二人を相手に同時対局を挑む。彼女は請け合う。
二人そろって私に勝つことはできない、と。名人たちは鼻で笑い、賭けに応じる。そして彼女は、約束どおりの結果を手にする。
主人公はチェスの心得をほとんど持たない。それでも彼女は負けなかった。
仕掛けは、相手に相手を指させること
仕掛けは拍子抜けするほど単純である。
彼女は二つの対局を、別々の部屋で行う。一方の盤では白番を、もう一方の盤では黒番を持つ。
まず、白番の名人が第一手を指す。
彼女はその手を覚え、もう一つの部屋へ移り、自分の手としてそっくり同じ手を指す。もう一人の名人が応じる。彼女はその手を覚え、最初の部屋へ戻り、そっくり同じ手を指す。
以下、繰り返しである。
盤上で実際に行われているのは、名人Aと名人Bの対局である。彼女は一手も自分では考えていない。
にもかかわらず、結果は必ず彼女に味方する。名人同士の対局が決着すれば、彼女は一方に勝ち、一方に負ける。引き分けに終われば、二局とも引き分けになる。
どちらに転んでも、通算では負けようがない。
「二人そろって私に勝つことはできない」という言葉は、はったりではなかったのである。ルールを一つも破らずに、彼女は勝負の構造そのものを組み替えた。
生成AIのレビューを、別の生成AIに投げる
さて、ここからが本題である。
生成AIに文書を書かせる。出来上がった文書を、別の生成AIに貼り付けて「レビューしてください」と頼む。返ってきた指摘を、そのまま最初のAIに貼り付けて「これを踏まえて直してください」と頼む。直った文書を、また別のAIに投げる。
この往復を何度か繰り返すと、文書はみるみるそれらしく整っていく。
指摘が入り、修正され、また指摘が入る。手元には「二つのAIがレビューした文書」が残る。
ーーお気づきだろうか。
これは、船上の彼女とまったく同じことをしている。
指し手を右から左へ運んでいるだけで、自分では一手も考えていない。AがBの手を受け、BがAの手を受ける。
中継役は人間だが、その人間は盤面を読んでいない。
ただし、決定的に違うことが一つある
もっとも、この二つには決定的な違いがある。そして、その違いこそが問題なのである。
彼女の仕掛けが成立したのは、チェスがゼロサムのゲームだからである。名人Aが勝てば、名人Bは必ず負ける。二人が同時に間違えることは、構造上ありえない。
だから中継するだけで、彼女は必ず得をした。
文書のレビューは、そうではない。両方が同時に間違えることが、ごく普通に起きる。
しかも生成AIの場合、それは偶然ではない。似た学習データを持ち、似た傾向を持つモデル同士は、似たところで間違える。誤りは独立ではなく、相関するのである。
相関がとりわけ強くなるのは、同じ開発元の世代違いのモデル同士や、同じ系列の基盤モデルを土台にした製品同士を組み合わせたときである。画面の名前が違っても、中身は兄弟であることがある。一方が見落とした前提の上に、もう一方がもっともらしい修正を積み上げていくことすら起こる。
指摘が返ってきたからといって、それが正しい指摘だとは限らない。
具体的に考えてみたい。逸脱調査報告書をAIに書かせ、別のAIにレビューさせたとする。
レビュー側は「根本原因の記述が具体性を欠く」「時系列の記載が一部前後している」といった、いかにも的確な指摘を返してくるであろう。作成側はそれを受けて文章を整える。往復を重ねるほど、報告書は読みやすくなっていく。
ところが、その報告書が根拠として挙げている過去の逸脱番号が、そもそも実在しないとしたらどうか。どちらのAIも、それには気づかない。記録番号が実在するかどうかは、盤面の外にある情報だからである。
二人の名人は、渡された盤面については誰よりも詳しいが、その盤が本物かどうかは見ていない。
AI Compliance研究会の第10回のブラインドレビュー演習で私たちが確認したのは、人がAI生成物の誤りを見抜きにくいという事実であった〔注2〕。AI同士のレビューでは、その人が、そもそも盤面を見ていない。
誤りは検出されないまま「二つのAIがレビュー済み」という化粧をまとって残る。
そして、もう一つ厄介なことが起きる。責任の所在が消えるのである。
AがBを検証し、BがAを検証した。ーーでは、誰が検証したのか。答えは、誰も検証していない、である。
では、AI同士のレビューは無意味か
そうではない。誤解のないように申し上げておきたい。
筆者は、作成者・専門レビュアー・QA・ファクトチェッカー・アドバーサリアルレビュアーといった役割を分けた多段のAIレビューを、一貫して推奨してきた。
第9回の研究会で実演したとおり、これは実際に有効である。問題は手法そのものではなく、条件が抜け落ちたときに、それが単なる中継に化けるという点にある。
条件は四つである。
- 観点を人が決める。「レビューして」ではなく「この観点で、この基準に照らして見よ」と指定する。何を見るかを決めるのは、中継役ではなく設計者の仕事である。
- 独立性を担保する。別のモデル、別のプロンプト、別の参照資料を用いる。同じ条件で二回動かしたものは、二人の名人ではない。同じ名人が二回指しているだけである。モデルを分けるときは、名前ではなく開発元と基盤モデルの系列を見て選ぶ。
- 受入基準を人が持つ。指摘の採否を、人があらかじめ決めた基準で判断する。「指摘が出たから直す」では、その指摘の妥当性が誰にも検証されていない。
- 人が中身を読む。全件でなくてよい。抽出でよい。しかし、一度も盤面を見ない中継役だけを置いてはならない。
見分け方は難しくない。ベスとデズメットが用いたのと同じ手が使える。中継役に聞けばよいのである。
「この指摘は、なぜ妥当なのか」。理解して指しているなら、その場で答えが返る。運んでいるだけなら、返らない。
応答の速さに、それは現れる。
第11回で確認したSOP骨子の「レビュー可能性ルール」ーー自分が検証できない領域でAIを使わないーーは、つまるところこの話である〔注2〕。
目指すべきは、盤面を読める人間である
彼女は、指し手の意味を理解していなかった。
そして、それでよかった。彼女の目的は「勝つこと」ではなく「負けないこと」であり、中継だけでその目的は達せられたからである。
私たちの目的は違う。
文書を正しくすることである。負けさえしなければよい、という話ではない。理解しないまま中継する者が何人並んだところで、正しさは生まれない。
AIを二つ使うこと自体は、悪いことではない。むしろ勧めたい。問題は、その二つのあいだに立つ人間が、達人のふりをするかどうかである。
前回、厚労省とPMDAを題材に「分けることは目的ではなく手段である」と書いた。今回も結論は同じところに着く。AIを分けたからといって、検証したことにはならない。
分けたあとで、その両方を読み、観点を与え、採否を決める人間がいて、初めてそれは検証になる。
船を降りよう。そして、盤面の前に座ろう。
〔注〕
注1:「チェス・グランドマスター問題」を最初に提示したのは J. H. Conway, “On Numbers and Games”(1976年)である。これを暗号学に接続したのが T. Beth and Y. Desmedt, “Identification tokens ー or: Solving the chess grandmaster problem,” Advances in Cryptology ー CRYPTO ’90(1991年)であり、同論文は本問題がマフィア詐欺・テロリスト詐欺と同じ構造であることを指摘するとともに、往復時間の測定による対抗策(今日いう distance bounding)を示した。この経緯の整理は F. Stajano, F.-L. Wong, B. Christianson, “Multichannel Protocols to Prevent Relay Attacks”(2009年)による。
注2:第9回(2026年5月12日)マルチエージェントによる成果物作成の実演、第10回(2026年6月9日)ブラインドレビュー演習、第11回(2026年7月7日)生成AI利用管理SOP骨子 第4章「レビュー可能性ルール」を参照。
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