紙の記録と電子記録はどちらが重要か
医薬品・医療機器業界の品質保証担当者から、しばしば次のような質問を受ける。「電子記録の管理は21 CFR Part 11や現行EU GMP Annex 11で厳しく規定されているが、紙の記録についてはそこまで厳格な要求はないのか」「電子データの方が改ざんが容易だから、より重要視すべきなのではないか」。あるいは逆に、「紙の記録は手作業で書き換えられるから、電子化された記録の方が信頼性が高いのではないか」という見解を耳にすることもある。
なお、EU GMP Annex 11については近年改訂ドラフトに関する議論が進められており、現行版と改訂動向は区別して把握する必要がある。
このような疑問の背景には、規制要件の表面的な理解と、媒体の特性に対する誤解が存在している。結論から述べれば、紙の記録と電子記録のいずれが「より重要」ということはない。
両者は患者安全性の確保という共通の目的において等しく重要であり、データインテグリティ(データの完全性)の原則は媒体を問わず適用される。
本稿では、なぜ両媒体が同等に重要であるのか、規制の歴史的経緯、ALCOA+原則の意味、そして実際の査察事例を踏まえて解説する。
データインテグリティとは何か
定義と背景
データインテグリティとは、データのライフサイクル全体(生成、処理、保管、検索、廃棄)を通じて、その完全性、一貫性、正確性が維持されている状態を指す。
医薬品の品質と患者安全性は、適切な製造管理および品質管理が実施されたことを示す「記録」によって保証される。記録が信頼できなければ、製品の品質も保証できない。これがデータインテグリティが規制当局から重視される根本的な理由である。
ALCOA原則
データインテグリティの基本原則として広く知られているのが、ALCOAと呼ばれる五つの要件である。これは1990年代にFDAの査察官であったStan W. Woollen氏が提唱したとされる概念で、現在では国際的に通用する用語となっている。
- Attributable(帰属性):誰がそのデータを作成・記録したかが明確であること
- Legible(判読性):データが判読可能であり、永続的に読める状態であること
- Contemporaneous(同時性):行為と同時に記録されること
- Original(原本性):オリジナルの記録、または認証された真正コピーであること
- Accurate(正確性):誤りがなく、編集の経緯が明確であること
ALCOA+への拡張
近年、ALCOAに以下の四つの要件を加えたALCOA+という拡張版が広く用いられている。
- Complete(完全性):すべてのデータが欠落なく記録されていること
- Consistent(一貫性):データに時系列的な矛盾がないこと
- Enduring(永続性):保管期間を通じて利用可能な状態で残ること
- Available(利用可能性):必要時に速やかに参照できること
ここで強調すべきは、これらの原則がいずれも媒体に依存しないという点である。紙であれ電子であれ、記録はこれらの要件を満たす必要がある。「電子記録だからALCOA+が適用される」のではなく「記録であるからALCOA+が適用される」のである。
紙の記録の特性と落とし穴
紙の記録の特性
紙の記録は、医薬品製造の現場で長年用いられてきた媒体である。「シンプルで改ざんしにくい」というイメージを持つ担当者も少なくない。しかし、これは正確な認識ではない。
紙の記録には以下のような特性がある。
項目 / 内容
————————————————————————–
利点 / 特別な機器が不要、停電時にも使用可能、視覚的に直感的、初期コストが低い————————————————————————————–
弱点 / 物理的劣化、保管スペース、検索性の低さ、改ざんの自動検知が困難————————————————————————————–
改ざんリスク / 修正液による上書き、書き直し、署名偽造、後追い記入、ページの差し替え
査察で問題となりやすい紙記録の典型的不備
FDAの警告書(Warning Letter)には、紙の記録に関するデータインテグリティ違反の事例が数多く記載されている。典型的な不備例を挙げる。
後追い記入(Backdating)の事例
製造記録に記載された日付と、実際の作業日とが乖離していた事例である。例えば、月末に複数日分の記録をまとめて作成し、それぞれを実施日として記載するような行為がこれに該当する。これはALCOA原則のContemporaneous(同時性)に反する。
未署名記録の事後完成
製造工程の途中で署名すべき箇所が空欄のまま放置され、後日まとめて署名が行われるケースである。これもContemporaneousの要件に反するとともに、誰がいつ確認したかという責任の所在を不明確にする。
訂正の不適切な処理
紙の記録では、誤記の訂正方法も厳密に運用される必要がある。
一般的には、誤った記載に一本線を引いて元の記載が読める状態を保ち、訂正内容、訂正者の署名、訂正日、訂正理由を記載することが求められる。修正液や塗りつぶしによる訂正は、元の記載内容を確認できなくするためデータインテグリティに反する。
このように、紙の記録においても「いつ」「誰が」「何を」「なぜ」記録あるいは修正したかが明確に追跡可能でなければならない。
「紙だから簡便でよい」という発想は、規制要件の理解として根本的に誤っている。
電子記録の特性と21 CFR Part 11
電子記録の特性
電子記録はコンピュータシステム上で生成・保管される記録である。
項目 / 内容
—————————————————————————
利点 / 検索性、保管効率、計算の自動化、バックアップの容易さ、監査証跡の自動生成—————————————————————————————-
弱点 / システム障害リスク、サイバーセキュリティ、ベンダー依存、技術陳腐化—————————————————————————————-
改ざんリスク / データベース直接編集、システム時刻の操作、メタデータ削除、選択的な再分析
21 CFR Part 11の制定経緯
電子記録に対する規制として最も広く知られているのが、米国FDAの21 CFR Part 11(Electronic Records; Electronic Signatures)である。
これは1997年3月20日に最終規則として公布され、同年8月20日に発効した規則で、電子記録および電子署名を、紙の記録および手書き署名と同等に取り扱うための要件を定めている。
ここで注意すべきは、21 CFR Part 11が新たな記録保持義務を課すものではないという点である。記録の保持義務そのものは、cGMP(21 CFR Part 210/211)、QMSR(21 CFR Part 820。
2026年2月2日に施行済み)、GLP(21 CFR Part 58)、GCP関連規則といった既存の規則ーーこれらを「述語規則(Predicate Rule)」と呼ぶーーに由来する。21 CFR Part 11は、述語規則で要求される記録を電子形式で保持する場合に、その電子記録が信頼できるものであるための追加要件を定めるものである。
すなわち、紙の記録に対する要求が「ベースライン」であり、電子化に伴って追加的な技術要件が加わると理解するのが正確である。
電子記録が「特別に厳しく」管理されているのではなく、紙記録で手順・物理的管理により担保していた帰属性、同時性、原本性、正確性などを、電子環境ではアクセス制御、監査証跡、バリデーション、バックアップ、権限管理といった技術的・手順的管理で明示的に担保する必要があるということである。
Part 11の主要要件
21 CFR Part 11が要求する主な事項を整理する。
- コンピュータシステムバリデーション(CSV):システムが意図した通りに動作することの証明
- 監査証跡(Audit Trail):データの作成、変更、削除の履歴を自動記録する仕組み
- アクセス制御:権限のない者によるアクセスや変更を防止する技術的措置
- 電子署名:Part 11の要件を満たす場合に、電子署名を手書き署名と同等に扱うための基準
- 記録の保管と検索:保管期間中、いつでも利用可能で読み取り可能な状態の維持
これらは紙の記録において当然に求められる「誰が」「いつ」「何を」を電子的に保証するための仕組みであり、紙の管理よりも本質的に厳しい要求というわけではない。
なぜ紙と電子は等しく重要なのか
プレディケートルールの考え方
ここで改めて確認すべきは、規制当局が患者安全性のために要求しているのは「記録そのもの」であって、その媒体ではないという点である。
プレディケートルールーーすなわちcGMP、QMSR、GLPなどーーは、特定の事項を記録し、保管することを要求している。
例えば、医薬品の製造に関する21 CFR 211.188では、バッチ製造記録および管理記録の作成と保管を要求している。この要求は、その記録が紙であるか電子であるかを問わない。
したがって、紙の記録における改ざんも、電子記録における改ざんも、いずれもプレディケートルール違反となる。
FDAは2018年12月に発行した「Data Integrity and Compliance With Drug CGMP: Questions and Answers Guidance for Industry」において、データインテグリティ要件は紙ベースおよび電子ベースのシステムの両方に適用されることを明確にしている。
患者安全性への影響は媒体に依存しない
データ改ざんが患者に及ぼす影響を考えれば、媒体の違いに本質的な意味はない。
例として、製品の含量試験結果を考える。
ある製剤の含量規格が90.0〜110.0%であるとし、HPLCによる試験結果が89.5%であったとする。この結果を紙の試験記録書上で「91.5%」と書き換えた場合と、電子データ上で同様に書き換えた場合とで、患者に届く製品の品質に対する影響は同一である。規格外品が市場に流出するリスクは、いずれの場合も等しく高い。
すなわち、データインテグリティの議論において、「どちらの媒体がより重要か」という問いそのものが、規制当局の問題意識を正しく捉えていないことになる。問うべきは「どの記録が患者安全性に関わるか」であり、その答えに該当する記録については、媒体を問わずインテグリティが確保されなければならない。
規制当局の一貫した姿勢
主要な規制当局のデータインテグリティガイダンスは、いずれも紙と電子の両方を対象としている点で一貫している。
発行機関 / 文書名 / 発行年
————————————————————————–
FDA / Data Integrity and Compliance With Drug CGMP: Questions and Answers / 2018年————————————————————————–
MHRA / ‘GXP’ Data Integrity Guidance and Definitions / 2018年————————————————————————————–
WHO / Guideline on Data Integrity(TRS 1033 Annex 4) / 2021年————————————————————————–
PIC/S / PI 041 Good Practices for Data Management and Integrity / 2021年
これらのガイダンスは、用語の定義や具体的な事例において若干の差異はあるものの、ALCOA+原則の適用、紙と電子の両媒体の対象化、ライフサイクル全体での管理という基本的な枠組みを共有している。
例えばMHRAガイダンスは冒頭において、データインテグリティ要件はすべての要素(紙ベース、電子ベース、ハイブリッド)に等しく適用されると明記している。PIC/S PI 041もまた、対象範囲として手作業による紙の記録から完全に自動化されたコンピュータシステムまでを包含することを述べている。
ハイブリッド環境の課題
実務上、純粋に紙のみ、あるいは電子のみで完結する業務プロセスは稀である。多くの製造現場では、紙の記録と電子記録が混在する「ハイブリッド環境」が一般的である。PIC/S PI 041-1は、データマネジメントとインテグリティの原則が紙ベース、コンピュータ化、ハイブリッドの各システムに等しく適用されることを明示している。
また、MHRA 2018年ガイダンスは、データのリスク、重要性(criticality)、ライフサイクルを考慮したリスクベースのデータ管理アプローチを強調している。ハイブリッド環境においても、どの記録が患者安全性や製品品質にとってクリティカルかを見極め、それに見合った管理レベルを設定するという発想が重要である。
例えば、HPLC分析装置からは電子的にクロマトグラムデータが生成されるが、その結果を紙の試験記録書に転記して保管する、というケースが該当する。
このような環境では、以下の点に注意が必要である。
原本性の所在
電子データが原本(Original)なのか、紙の記録が原本なのかを明確に定義する必要がある。一般的には、データが最初に取得・生成された媒体が原本となる。
HPLCの例では、装置から得られた電子データが原本であり、紙の記録は派生的なものとなる。分析装置やコンピュータ化システムで最初に生成された電子データがGMP上の原データである場合、紙の印刷物だけを保存して電子データやメタデータを廃棄する運用は、原本性・完全性・追跡性の観点で問題となる。原本である電子データは、メタデータや監査証跡を含めて保管・参照できる状態を維持する必要がある。
転記の正確性
電子データから紙への転記、あるいはその逆において、転記ミスや選択的な転記(都合の悪いデータの除外)が発生しないよう、ダブルチェック等の仕組みが必要である。
保管の整合性
原本である電子データを、保管期間中、読み取り可能な状態で維持する責任が生じる。アプリケーションのバージョンアップや装置の更新時に、古いデータが読めなくなる事態を避けなければならない。
実務上の留意点
共通の管理原則
紙であれ電子であれ、記録管理において共通して必要な要素を整理する。
第一に、記録の作成・修正に関する手順書(SOP)の整備である。誰がどのような権限で記録を作成・修正できるか、修正時の手続きはどうか、といった事項を明文化する必要がある。
第二に、教育訓練の実施である。ALCOA+の原則、SOPの内容、データインテグリティ違反の重大性について、すべての記録作成者が理解している必要がある。
第三に、定期的な内部監査(Self-inspection)である。
記録が適切に管理されているか、SOPに従って運用されているかを定期的に検証する。
紙の記録に固有の管理
紙の記録については、以下の事項に特に留意する。
- 連続した記録用紙の番号管理(ページの差し替えや欠落の防止)
- インクの種類の指定(消去可能なペンの使用禁止、推奨されるのは消えにくいボールペン等)
- 保管場所の管理(湿度、温度、害虫対策、火災対策)
- 訂正方法の標準化と教育
電子記録に固有の管理
電子記録については、以下が重要となる。
- アクセス権限の適切な設定と定期見直し
- 監査証跡の有効化と内容の定期確認
- バックアップとリストアの検証
- システム変更管理(バリデーション状態の維持)
- データ移行時のインテグリティ保証
なお、ここに示した分類は実務上の整理であり、規制文書において公式に体系化されたものではない点に留意されたい。
まとめ
「紙の記録と電子記録はどちらが重要か」という問いに対する答えは明確である。両者は等しく重要である。
データインテグリティの原則は媒体に依存せず、改ざんが患者安全性に及ぼす影響もまた媒体に依存しない。
重要なのは、媒体ごとの特性を理解した上で、それぞれに適した管理手法を確立することである。紙には紙の、電子には電子の管理上の留意点があり、ハイブリッド環境ではさらに両者の境界における整合性の確保が求められる。
規制当局が一貫して示しているメッセージは、「記録の信頼性」こそが品質保証の根幹であるという点である。新たな技術の導入や電子化の進展に伴い、管理手法は進化していくが、ALCOA+に集約される基本原則の重要性は変わらない。
品質保証担当者は、自社の業務プロセスにおいてどのような記録が、どの媒体で、どのように管理されているかを正確に把握し、媒体の違いに惑わされることなく、各記録が患者安全性に対して持つ意味を見据えた管理体制を構築する必要がある。
「紙の方が安全」でもなければ「電子の方が信頼できる」のでもない。患者に届く製品の品質を保証するために、すべての記録が等しくALCOA+の要件を満たさなければならない——これこそが、データインテグリティの本質である。
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