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サリドマイドを止めた審査官ーー1962年キーフォーバー・ハリス修正

はじめにーー一人の審査官が米国を救った

FDAの歴史には、幾人ものヒーローが登場する。中でも最も有名なのが、フランシス・ケルシー博士である。彼女は、世界数十か国で数千人から一万人ともいわれる胎児被害を出したサリドマイドの米国上陸を、ほぼ一人で食い止めた。そしてこの事件が、医薬品規制に「有効性の証明」と「GMP」という二つの柱を打ち立てることになる。

ケルシー博士とサリドマイド

サリドマイドは1950年代後半、西ドイツで開発された鎮静睡眠薬である。「安全な睡眠薬」として欧州・カナダ・日本など世界中で販売され、つわりに悩む妊婦にも広く使われた。1960年9月、米国企業がサリドマイド(商品名ケバドン)の承認申請をFDAへ提出する。

担当審査官に着任したばかりのケルシー博士は、提出データの科学的な質の低さに疑問を抱いた。慢性毒性データは不十分で、安全性の主張は証拠より宣伝に近い。彼女は承認を保留し、追加データを繰り返し要求した。

企業側は「石頭の役人」と非難し、上層部への圧力も強めたが、彼女は退かなかった。そのさなかの1961年、欧州から衝撃的な報告が届く。サリドマイドを服用した母親から、四肢に重い障害(アザラシ肢症)を持つ子どもが次々と生まれているというのである。

薬は各国で回収され、米国はーーケルシー博士の抵抗のおかげでーー大規模販売を免れた。1962年、ケネディ大統領は彼女に連邦公務員最高栄誉賞を授与した。新聞は「彼女の疑い深さが数千人のアメリカの子どもを救った」と書き立てた。

ケルシー博士はその後もFDAで治験の科学的監視部門を率い、90歳まで現役を貫いた。FDAには現在、優れた審査業績をたたえる「ケルシー賞」が設けられている。一人の審査官の「科学的に納得できないものは通さない」という姿勢が、組織の文化として制度化されたのである。

日本にとっても、この事件は他人事ではない。日本ではサリドマイドが1958年から市販され、西ドイツでの警告後も販売停止・回収が遅れたことで被害が拡大し、約300人の認定被害者を出した。米国が水際で防いだ悲劇を、日本は正面から被ったのである。この反省は日本の薬事行政強化と副作用被害救済制度の整備につながっており、日米それぞれの規制史の転換点となった。

キーフォーバー・ハリス修正ーー「効くこと」の証明と治験の倫理

世論の後押しを受け、1962年、FDC法を改正するキーフォーバー・ハリス修正が成立した。この改正は現代の医薬品規制の骨格を決定づけた。

第一に、有効性の証明である。新薬の承認には、安全性に加えて「十分に管理された適切な試験(adequate and well-controlled studies)」による有効性の実証が必要になった。今日、世界中の開発現場で行われている対照群を置いた臨床試験の考え方が、法律上の要求として確立したのである。

しかも遡及適用され、FDAは1938年から1962年の間に承認された数千品目を有効性の観点から再評価する大事業(DESI)を実施した。医学の専門家パネルを総動員したこの再評価は十数年に及び、有効性を示せない多数の医薬品が市場から退場した。「昔から売られてきた」ことは、もはや有効性の証明にならなくなったのである。製薬企業の研究開発のあり方は、この瞬間から「証拠を作る産業」へと決定的に変わった。

第二に、治験の倫理である。被験者へのインフォームド・コンセントの取得が法律上求められ、副作用報告の義務化も進んだ。サリドマイド事件当時、米国では「治験」の名の下に承認前の薬が大量に医師へ配布されていた反省である。

GMPの誕生ーー「作り方」を規制する

そして第三の柱が、GMP(Good Manufacturing Practice)の法制化である。1962年修正は、医薬品が「現行の適正製造規範(current GMP)」に従って製造されていなければ、その医薬品を不良品(adulterated)とみなすという規定を導入した。個々の製品の試験結果だけでなく、製造管理・品質管理の仕組みそのものを規制するという発想であり、FDAは1963年に最初のGMP規則を公布した。

これが後に21 CFR Part 210/211として整備され、世界各国のGMPの源流となる。日本のGMPも、WHOのGMPも、この米国GMPの系譜に連なっている。

「最終製品の試験だけでは品質は保証できない。品質はプロセスで作り込むものである」ーー今日の品質保証の常識は、この時代に規制として形になったのである。なお、サリドマイド自身にも後日談がある。世界を震撼させたこの物質は、その後の研究でハンセン病の合併症や多発性骨髄腫への有効性が見出され、厳格な妊娠回避プログラムと流通管理を条件に、米国でも日本でも再承認されている

。「悪魔の薬」を安全管理の仕組みで使いこなすまでになった現代の医薬品リスク管理は、皮肉にも、この薬がもたらした規制強化の上に成り立っているのである。

おわりにーー「作り方の規制」の物語へ

1962年修正により、医薬品規制は「安全性・有効性・製造品質」の三本柱を備えた。もっとも、GMPが法律に書き込まれたのは到達点ではなく出発点である。GMPという発想そのものは、実はサリドマイド以前の製造事故にまでさかのぼり、法制化の後も、事件が起きるたびに鍛え直されて現在の姿になった。次回は、このGMPの誕生と進化の物語を一回かけてたどることにしたい。

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