ベテランほど間違える-なぜ熟練が落とし穴になるか
理由は明快である。ベテランは手順書を読まないからだ。長年やっている、感覚で分かる、目を瞑ってもできるーーそう自負した瞬間から、SOP は眼前を通り過ぎていく。手順書から目を離した作業は、必ず勘と経験に依存し、勘と経験は必ずどこかで外れる。
初心者は逆に、毎回手順書を律儀に開いて確認する。だから間違いが少ない。仮に間違えても、手順書と照合すればすぐに発見できる。ベテランの間違いは手順書を経由していないから、第三者がチェックに入っても照合の基準がなく、発見が極めて困難になる。
「慣れた時ほど忘れずに」
ヒューマンエラーの研修で、筆者が必ず伝える言葉がある。「慣れた時ほど忘れずに」である。「熟練した人はヒューマンエラーを犯さない」と思い込んでいる人は多いが、ミスや事故は初心者だけが起こすものではない。むしろ熟練者のミスの方が、重大な結果に結びつきやすい。
その思い込みは、教育訓練の計画にも表れる。新人向けの研修は手厚いが、勤続20年のベテランは何年も手順の再教育を受けていない。教育担当者の側も、「ベテランに今さら教えることはない」と遠慮しがちである。そんな職場は珍しくない。
車の運転にたとえると分かりやすい。免許を取ったばかりの頃は、ミラーも標識も必死に確認する。ところが運転に慣れると確認は減り、「たぶん大丈夫だろう」とハンドルを切るようになる。危険は、慣れて確認を省くようになった頃にも潜んでいるのであり、製造現場の作業も同じである。

初心者のミスは「迷い」から生まれる
初心者と熟練者では、ミスの起こり方がまったく違う。その違いを知ると、ベテランにこそ対策が必要な理由が見えてくる。初心者のミスの要因は、次のように整理できる。
- 入ってくる情報が多すぎて混乱すること。運転を始めたばかりの頃、信号、標識、歩行者、ミラーと、見るべきものが多すぎて頭がいっぱいになったはずである。
- 決心がつかず迷うこと。自信がないので、判断が遅れる。
- 手遅れになってから気づくこと。
- あいまいな判断のまま行動してしまうこと。
- その行動がどんな危険につながるかを予測できないこと。
初心者のミスには、周りから見えやすいという特徴がある。迷っている様子や手際の悪さは、隣で見ている先輩にすぐ分かるし、本人も自信がないので確認を求めてくる。だから、多くのミスは重大な結果になる前に止められる。
ただし、初心者のミスが軽いと言いたいわけではない。周りが気づいて止められる状況があるから、結果として重大になりにくいのである。一人で作業させれば、初心者のミスも重大な結果につながる。初心者には手順を丁寧に教え、一人で判断させない期間を設けることが大切である。
熟練者のミスは「慣れ」から生まれる
一方、熟練者のミスの要因はまったく異なる。
- 長年同じことを繰り返した結果、型にはまりすぎること。「いつもこうだから」という思い込みが生まれ、いつもと違う状況に気づけない。例えば、毎日同じ原料を量っているベテランに「この原料はいつもこの容器に入っている」という思い込みがあると、ラベルを読まずに容器を手に取ってしまう。ある日、よく似た容器に別の原料が入って届いたら、どうなるだろうか。
- 自分の判断を優先すること。「手順書よりも自分のやり方の方が正しい」と考え、手順書どおりにやらなくなる。しかも長年の経験に裏打ちされているだけに、その判断はたいてい当たる。当たり続けるからこそ、手順書から離れたやり方が固定されてしまう。
- 慣れすぎて無意識の行動が多くなること。体が勝手に動くので、自分が何をしたかを覚えていないこともある。毎日繰り返すラベル貼りなどでは、貼ったかどうかを後から思い出せないことさえある。
- ふだん誤りが少ないため、誤っても気づかないこと。
- 作業が速いために、操作の抜けや飛ばしが起きること。
英国の心理学者ジェームズ・リーズンは、著書『Human Error』(1990年)で、エラーを行動の水準によって分類した。慣れた作業をほぼ自動的にこなす「スキルベース」の水準では、うっかり別の操作をする「スリップ」や、やるべきことを忘れる「ラプス」が起きやすいとされる。熟練者の無意識の動作から生まれるミスは、この型に当てはまることが多い。
なぜ重大で、見つけにくいのか
熟練者のミスが重大になりやすい理由の一つは、任される仕事にある。原料の秤量、設備の条件設定、記録の最終確認など、ベテランは重要な工程を担当することが多く、そこでのミスはそのまま大きな影響につながる。しかも熟練者は作業が速い。初心者なら途中で手が止まるところを滑らかに最後まで進めてしまうため、ミスに気づいたときには、すでに多くの工程が進んでいることがある。
見つけにくい理由もある。熟練者のミスは、大量の作業のうちごく一部でしか起きない。本人も周囲も「あの人に限って」と思っているので、記録の照査も甘くなりがちである。ダブルチェックの相手が後輩であれば、先輩の作業に疑問をはさみにくい。
記録の上でも、いつもどおりの数字が並んでいるように見える。ベテランの記録は字も整っていて、照査する側が安心してしまう。ミスの痕跡が、日常の中に溶け込んでしまうのである。さらに筆者の経験では、ベテランが編み出した「近道」が「こうした方が早い」と後輩に受け継がれ、職場全体に広がっていることもある。
記憶ではなく記録に基づく
規制要件等が文書化を要求する根本理由はここにある。
「記憶に基づいて作業してはいけない、記録に基づかなければならない」ーーこれが文書管理の哲学である。記憶は揺らぐ、記録は揺らがない。トレーサビリティを確保し、誰がやっても同じ結果を出すには、文書という共通言語が要る。
飛行機のパイロットを例に考えれば分かりやすい。世界中のどんな熟練パイロットも、離陸前のチェックリストを必ず読み上げる。何万時間飛んでいる機長でも、マニュアルを飛ばすことは絶対に許されない。
なぜか。一度の飛び抜かしが乗客の命を奪うからである。医薬品・医療機器の現場も、本質的にはこれと同じ重さを持つ。
ベテランにこそ対策を
ではマネジメント側に何ができるか。
第一に、ベテランほど手順書遵守の模範を示すよう求めること。背中を見せる立場の人間が手順書を飛ばす姿を見せれば、組織全体が同じ振る舞いに収束する。
第二に、力量評価項目に「手順書遵守」を入れること。経験年数だけで力量を判定しないこと。教育訓練を新人だけのものにせず、手順書を改訂したときはもちろん、定期的に熟練者の力量を評価し、必要に応じて再教育を行う。誰が、いつ、どの版の手順書で訓練を受けたかも、全員について記録しておく。
第三に、手順書自体を不断に改訂し、現場の実態と乖離しないよう保つこと。乖離した手順書は誰も守らない。熟練者の知恵も正式なルートに乗せ、本当に良いやり方であれば、変更の妥当性を確かめたうえで手順書を改訂し、全員に訓練して全員のやり方にすればよい。個人の判断で手順を変えることと、手順を改善することはまったく別である。
第四に、ダブルチェックや記録の照査を、経験年数に関係なく同じ基準で行うこと。「ベテランの作業だから確認を省く」という例外を作ってはならない。照査する人には、誰の記録かではなく、記録に何が書かれているかを見るよう求める。
第五に、ベテランがヒヤリハット(事故には至らなかったが、ひやりとした出来事)を報告しやすくすること。筆者の経験では、経験の長い人ほど、小さなミスを「自分の恥」と考えて報告しない傾向がある。しかし、ベテランのヒヤリハットこそ職場にとって貴重な情報である。報告した人を責めず、報告してくれたことを評価する積み重ねが、見えにくいミスを表に出す。
「自分は読まなくても分かる」と発言したベテランがいたなら、その瞬間が黄信号である。長年の経験は組織の財産だが、手順書から離れた経験は組織のリスクに転じる。
まとめ
- ミスは初心者だけのものではなく、熟練者のミスの方が重大な結果につながりやすい
- 初心者のミスは迷いや混乱から、熟練者のミスは慣れ、思い込み、無意識の動作から生まれる
- 熟練者のミスは見つけにくい。教育訓練と照査を、経験年数に関係なく行う仕組みが必要である
ベテランの経験は職場の財産である。その財産を守るためにも「慣れた時ほど忘れずに」を合言葉にしてほしい。
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