「危」の字が見つからない
ーー近道・省略はあなたにも起きる
本稿は、読者に小さな実験をしてもらうところから始めたい。「安」と「中」という字が並ぶ中から「危」という字を一つ探すだけである。簡単すぎると思うかもしれない。
しかし字の数が増えると、多くの人が同じ失敗をする。その失敗には、製造現場のヒューマンエラーにつながる人間の性質が表れている。
まず、「危」を探してほしい
次の文字列の中に「危」が一つだけある。安安安安中危安安中安安中安中安安安安中安おそらく一瞬で見つかったはずである。左から6番目だ。
字が少なければ、全体をひと目で見渡せる。探そうと意識しなくても、形の違う字が目に飛び込んでくる。一問目は、いわば仕事の量が少なく、余裕がある状態である。
では、二問目である。同じ「安」と「中」が、雑誌の1ページを埋めるようにびっしりと並んでいる。大半は「安」で、ところどころに「中」が混ざる。その中に「危」は、やはり一つだけ、目立たない位置に紛れ込んでいる。
安安安安中安安安中安安中安中安安安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安中安安安中安中安安安安安安安安中安安安安安中安安安中安安中安中安安安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安中安安安中安中安安安安安安安安中安安安安安中安危安中安安中安中安安安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安中安安安中安中安安安安安安安安中安安安安安中安安安中安安中安中安安安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安安中安中安安安安安安安中安安中安中安安安安中安中安安安中安中安安安安安安安安中安
講演でこの図を見せて「どこにありますか」と尋ねても、すぐに答えられる人は少ない。字の数は増えただけで「一つの字を探す」という作業は一問目と変わらない。それなのに、急に見つからなくなるのである。
途中で「本当にあるのか」と疑い始める人も珍しくない。このとき、多くの人の目は紙面の上を泳いでいる。右上を見たかと思えば左下に飛び、また中央に戻る。
どこかで「危」が目に飛び込んでくるのを待っているのである。一問目でうまくいったやり方を、そのまま大きな問題にも使っているとも言える。
端から順番に見れば、必ず見つかる
確実に見つける方法は、拍子抜けするほど単純である。左上から一行ずつ、一字ずつ順番に見ていけばよい。そうすれば、見落としようがない。
面倒に思えるが、結果的にはこの方が早い。講演で、一行ずつ順番にたどって見せると、いずれ必ず「危」にたどり着く。目を泳がせて探していた人より、結局は早く見つかることが多い。
目を泳がせて探すと、同じ場所を何度も見る一方で、一度も見ていない場所が残る。見ていない場所に答えがあれば、いつまでたっても見つからない。つまり、見つからない原因は視力でも集中力でもない。
「順番に見る」という手順を省き、近道をしたことである。もう一つ付け加えると、目を泳がせて探した人ほど「全体を見た」という感覚を持っている。見ていない場所があることに、本人は気づいていない。
だから、見つからなければ「ありません」と答えてしまう。近道の怖さは、手を抜いた自覚がないまま、誤った結論に自信を持ってしまうところにある。
近道・省略は誰にでも起きる
ヒューマンエラーの原因は、「不注意」「錯誤(錯覚)」「近道・省略」に分けて説明されることが多い。そして、これらは誰にでも起きる。

錯覚も、講演で体験してもらっている。中央の円の大きさを比べる図では、同じ大きさの円が、左は大きく、右は小さく見える。錯覚は、注意していても防げない。
人の感覚は、すべてを正確に判断できるわけではないのである。近道・省略とは、本来やるべきことを省いてしまうことである。手順1の後に確認1、手順2の後に確認2と進むべきところを、確認を飛ばして手順1から手順2へ進んでしまう。「結果が同じならよいだろう」という気持ちがそうさせる。

しかも、多くの場合は本当に結果が同じなので、省略はやがて習慣になる。同じ作業を毎日繰り返す現場ほど、省略は定着しやすい。事故が起きるのは、結果が同じにならなかった、ごくまれな一回である。
人は、目の前に処理すべきものが山のように積まれると、ほぼ必ず近道をする。二問目で字が増えたとたんに目が泳いだのと同じである。忙しいときほど省略が起き、忙しいときほど見落としが重大になる。
近道・省略は、怠け心だけから生まれるわけではない。「早く終わらせて次の仕事に移りたい」「出荷に間に合わせたい」という、仕事への責任感から生まれることも多い。だからこそ、本人を責めても解決しない。
製造現場の「目の泳ぎ」
製造現場にも、二問目と同じ構造の作業はたくさんある。・何百ページもの製造記録を照査する。・数千個の製品を目視で検査する。
・ラベルの表示を一枚ずつ確認する。いずれも、大量の「正しいもの」の中から、まれに混ざる「誤り」を見つける作業である。例えば、数十項目ある製造記録の中に、一か所だけ単位の書き間違いがあったとする。
ざっと眺めただけでは、数字の並びに違和感がなければ見過ごしてしまう。記録が何冊も机に積まれていれば、なおさらである。ダブルチェックも万能ではない。
二人目の確認者が「一人目が見ているから大丈夫だろう」と目を泳がせれば、二人そろって同じ誤りを見落とす。確認する人数を増やすことと、確認の質を上げることは別の問題である。二人目の確認者にも、決められた順番で一項目ずつ確かめる手順を与える必要がある。
順番に見る方法は特別な才能を必要とせず、誰がやっても同じ結果になる。これこそが手順の力である。こうした作業で「ざっと見て問題なさそうだから良し」とするのは、まさに目を泳がせて探すことと同じである。筆者は、承認された製造方法を守らないといった重大な逸脱も「結果が同じならよいだろう」という同じ心理の延長線上にあると考えている。
近道をさせない仕組み
対策は、個人に「気をつけろ」と言うことではない。近道をしたくなるのは人間の性質だからである。まず、見る順番を手順として決める。
記録の照査なら、どの項目をどの順で確認するかをチェックリストにし、確認した項目に印を付けていく。目視検査なら、一度に見る範囲と時間を決め、休憩を挟む。文字を指やペンで追いながら読むのも、順番を守る簡単な方法である。
考えてみれば、手順書とは「近道をせずに、決まった道筋を順番にたどるための地図」である。二問目で左上から順に見ていけば確実に見つかったように、手順どおりに進めば、見落としや抜けは起きにくくなる。次に、確認の結果を記録に残す。
どこまで確認したかが記録で分かれば、途中で中断しても再開する場所が分かり、確認の抜けも後から見つけられる。そして、作業量を管理する。一人に処理しきれない量を積めば、近道は必ず起きる。
これは現場の努力ではなく、管理者が責任を持つべき問題である。管理者は、近道をした人を探すより先に、近道をしたくなる状況がないかを探すべきである。照査すべき記録が一度に大量にたまっていないか。
確認に必要な時間が、作業計画にきちんと含まれているか。そこを見直すことが、近道を減らす近道である。
まとめ
- 字が増えると、人は目を泳がせて探し、かえって見つけられなくなる
- 端から順番に見る方が確実で、結果的に早い。見つからない原因は「順番に見る」手順の省略である
- 近道・省略は誰にでも起きる。見る順番の決め方、記録、作業量の管理という仕組みで防ぐ
同僚に字を並べた紙を作ってもらい、一度試してみてほしい。自分の目が泳ぐのを実感すれば、手順の意味が腹に落ちるはずである。
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